7月8日(土)旧柳本藩主・織田信成公、並びに織田家累代の御霊を慕い、ゆかりの菩提寺・専行院に供養の祭壇を設け法要が営われました。歴史を振り返ると、柳本藩の初代尚長公は織田信長の弟で茶人としても名を残した織田長益・有楽斎公の五男として生まれ、寛永年間には陣屋を構えて柳本藩の基礎を築かれたそうです。歴代藩主も藩政を良く治め、上街道沿いに、今も名残をとどめる城下の街並みが発展することとなりました。また十二代信成公は崇神天皇陵の改修にあたり、自ら監督し、多くの人々がともに力を合わせ、無事工事を成し遂げたそうです。御陵の周辺には堤防を廻らし、堀には水が湛えられました。その立派で厳かな姿は今に伝えられ、奈良県の中でも特に古い歴史を有する柳本の誇りとなっています。もともと柳本は水利に乏しく灌漑用水の枯渇に悩まされることが多かったので、堀に湛えられた水からは、計り知れない恩恵を与えられました。このような柳本歴代藩主の偉業・遺徳を思い起こし、往時の柳本藩に想いを馳せ、毎年法要が行われているのだそうです。コロナ禍の間も代表者数名で法要を続けておられ、今年は4年ぶりに盛大に行われ、東京から尚長公の子孫の方が2名お越しになりました。今でもこうして法要をしていることに驚きの感謝の念を伝えられていました。私は専行院の門前までは子どもたちと一緒に何度も行ったことがあるのですが、中に入ったのは初めてで、あまりの荘厳さに驚きました。子どもたちにもぜひ見てもらい、過去の藩主たちの偉業に想いを馳せ、感謝の気持ちを持ってもらえたら・・・・と思いました。