無縁社会を考える

~「トイレの神様」から~

 

 昨今「無縁社会」という言葉が聞かれるようになりました。

「無縁社会」とは、単身世帯が増えて、人と人との関係が希薄となりつつある現代社会の一面をいいます。誰にも気づかれずに亡くなり、身元すら判明しないまま埋葬される「孤独死」。この中には、高齢者だけでなく、40、50歳代のミドルエイジ層も見られるといいます。また、高齢者・子ども虐待やいじめなど「無縁社会」が投げかける事象も起こっています。これらの事象は、「縁」が「無い」社会に起こるわけですから、人と人とのつながりがいかに希薄になった社会であるかということもいえると思います。

 さて、以前大ヒットした曲に植村花菜の「トイレの神様」という曲があります。植村さん自身の幼少期からの祖母との関わりを9分以上にも渡って、ありのまま語っている曲です。私もこの曲を聴いて、亡くなった祖母とのことと重なってしまい涙ぐんでしまいました。歌詞には、愛とか優しさとかという抽象的な言葉は一切出てこずに、むしろ、誰にでもあるような内容で淡々と進められています。

 では、なぜこの曲が大ヒットしたのでしょうか。皮肉にも「無縁社会」であるがゆえに、今まで当たり前であった人と人とがつながることの素晴らしさを、多くの人々がこの曲で感じ取ったのではないでしょうか。私も含めて、自分自身の祖父母と重ねて聴かれたがゆえ、飾らずに淡々と歌われるこの曲に感動を覚えられた方が多かったのではないかと思います。曲の最後は「おばあちゃん おばあちゃん ありがとう おばあちゃん ホンマに ありがとう」という言葉で締めくくられています。

 心から「ホンマに ありがとう」と言える人づくりをしていきたいものです。「無縁社会」を少しでも克服していくために。

 

                                                                                                                                                                        井戸堂小学校 校長 松吉博良