令和8年3月31日まで、柳本藩の陣屋御殿である橿原神宮「文化殿」(柳本小学校として活用され、昭和41年12月1日移築)が保全修理の期間となるので見学にいってきました。天保15年(1844)の建立より170年以上経ち、江戸時代の大名御殿がほとんど失われた今日、御殿で最も豪華な部分である表向御殿の遺構として、大変貴重なものとして評価されています。

校長室にはこの建物の前で500人くらいの子どもたちが記念撮影をしている写真が掲げられています。織田家ゆかりの建物が小学校として使われていたことは本当に興味深いです。小学校へお越しの際は、ぜひ校長室の写真をご覧ください。

                 

瓦や柱に織田家の家紋が・・・また表向御殿の釘隠しには足利将軍家より拝領した桐の紋があしらわれていました。歴史を感じますね。また表向御殿には「桐に鳳凰」や『雲に鳳凰』の欄間がありました。幕末の御殿にこのような豪華な欄間を制作された例はほとんどないようです。この修復作業には偶然にも旧柳本小学校の出身の方が2人もかかわっておられるようです。