千羽鶴を知っていますか?

鶴は、日本の社会では、縁起のよい鳥、おめでたい鳥とされてきたので、多くの鶴を奉納することは、人々が神様により幸せにしてもらったお礼としてその気持ちを表したものでした。

学校などで折り紙を折ることが多くの人にできるようになったとき、感謝の気持ちという表現から、より積極的に神様にお願いする(=祈願)ようになりました。

日本が戦争をしている時には、海外に出かけて戦争に参加する兵隊さんが死なないように、家族や友達が千羽鶴を折ることもありました。つまり、お願いしたことが叶ったときだけでなく、お願いしたい気持ちをこめて千羽鶴を折るように、みんなの考え方が変化していきました。

1945年(昭和20年)8月6日、アメリカ軍は広島市に原子爆弾を落としました。原子爆弾により放射能をあびた女の子がいました。その子の名前は、佐々木禎子さんといいます。禎子さんは、放射能による病気と闘っていたその時、鶴を千羽折れば病気が治るのではないかと信じて、千羽の鶴を折りました。禎子さんは、 死ぬ直前まで鶴を折り続けたといいます。この物語は、「サダコの物語」として広島の市民に広く知られることになります。

禎子さんの病気の平癒の祈りは、広島の原爆を体験した人たち にとっては平和の祈りのシンボルとして変化していきます。広島や長崎の原爆を記憶を忘れないようにする記念碑の近くに千羽鶴が奉納されている背景には、そのようなエピソードがあるのです。

    

     

6年生が修学旅行(11月1日~2日)を目前に控え、平和の祈りを込めて千羽鶴の折り方を下級生に伝えました。全校児童が、1羽1羽に祈りを込めて6年生に託します。