櫟本校区の魅力スポットを紹介するコーナーです。地域のすてきをたくさん知ってください。(校長)

 

 秋祭り「高良神社」と「八幡神社」 「まぐわい神事」 

 10月15日 高良神社の秋祭り

 午後1時 祭りの開始。この祭りはとてもかわっていて、

 高良神社の男神が、八幡神社の女神のもとへ、出会い(まぐわい)に行かれるというものだす。

 おもしろそうですね。

 櫟本町の六惣である瓦釜(かわらがま)、高品(たかしな)、四之坪(しのつぼ)、市場(いちば)、

 南小路(みなみしょうじ)、膳史(かし)の各大字の宮総代の方達が奉仕されています。

   高良神社は瓦釜の氏神さま    
  高良神社(男神)   ご祭神はコウラタマダレノミコト(高良玉垂神)
     
   男神   祭事が始まりました  
     
   いよいよ、軽トラックに乗せられた神社のノボリ  、サカキなどが八幡神社へお渡りします  
       
   ヤリや   天狗面、獅子頭も後につづき   
     
       神輿も軽トラックでお渡りです  
     
   神主さんも軽トラックで!   皆さんは歩いて四ノ坪の八幡神社へ  
     
         
   800メートルほど、西へ行くと  四之坪の氏神さま「八幡(やわた)神社」  
  「 八幡神社」女神   境内はとても清らかです  
         
 

 創建は不明。 元禄8年(1695)の

「櫟本村絵図」には描かれているそうです。

  女神さま!   
   

 

 
 

         この祭りは、男神と女神のまぐわい(交合)の儀式。

     しめやかに行われる祭事。 むにょむにょむにょ・・祝詞があげられています 

 
         
     右に櫟本公民館四之坪分館があり、社務所にもなっています。  
     
         
   境内には、玉姫稲荷大明神もあります。   かわいい祠ですね   
     
 

境内は ジンジャーの良い香りに包まれ清らか

 

祭りの世話を10年来されているという

松井さんと一緒に ハイパチリ

 
       
         
 

 年に一度の逢瀬(おうせ)を楽しむ神様。まるで織姫と彦星みたいにロマンチックですね。

 この「まぐわい神事」には、子孫繁栄、家内安全の願いが込められているのだそうです。

 私も、もちろん、手を合わせてきましたよ。

 

 
            (2012.10.15 撮影)  

 

 

「高良(こうら)神社」=「長寺(おさでら)跡」

  

 9月29日(土)  櫟本幼稚園の運動会に出席した後、

 櫟本公民館から西に行くと、白い彼岸花が咲いていて、まるで「おいで、おいで」と

 招いているようでした。

 南に、ゆるい上り坂を歩くと、そこに「高良神社」が鎮座されています。

 

 白い彼岸花    赤い彼岸花も咲いていて心ひかれます
     
 高良神社 鳥居    りっぱなイチョウやマツ
 
 社務所には「瓦釜公民館」と書いてありました    ご祭神:高良玉垂神
 
 狛犬    八幡さんも祀られています
 
     
  高良神社    

 

 櫟本町瓦釜(かわらがま)地区に鎮座(ちんざ)する「高良神社は古い歴史のある神社です。

 ご祭神(さいじん)は、高良玉垂神(こうらたまたれのかみ)で、この神さまは、古事記・日本書紀にみえる「武内宿禰(たけのうちのすくね)」(伝説では360歳という長寿をほこる怪物的な存在) のことだそうです。蘇我氏の祖先ともされています。

 武内宿禰は、延命長寿の神さまとして、また不思議な霊能力を発揮する武運長久(ぶうんちょうきゅう)、厄除けの神さまともされています。戦争中は戦勝祈願の神様として、現在では、試験の合格祈願などと、信仰を集めています。戦前には、一円札の肖像にもなっていて、庶民に身近な存在だったようです。(現在の聖徳太子のような存在でしょうか。)

 ここは、奈良時代前期に建立された「長寺」の跡で、付近からは古瓦片が発見されていて、「瓦釜」の地名はここからついたようです。

 (コウラ神社は、土着の、カワラ社が変化してコウラ社となったという説があります。)

 

 また「長寺跡」からは、建物の遺構や弥生時 代の遺物も出土していることから、このあたりは古代より集落がひらけ、古代豪族、和爾(ワニ)氏とのかかわりなど考えると、興味のつきない神社です。

 今は彼岸花(ひがんばな)が見ごろ。

 古代へタイムスリップさせてくれる高良神社です。  

                         (「あいたいがっこう14号」より)

 
     境内には「庚申塔」が建っていました
 
     庚申信仰のなごりですね。

 

 庚申信仰の「 三尸(さんしん)説」
 

 「三尸(さんしん)」とは人の体内にいる三匹の虫のことで、頭部・腹部・脚部にすむとされています。

 「腹の虫がおさまらない」「虫の居所が悪い」などと言いますが、この虫が「三尸」。

  「三尸は、人が死ぬと体外に出て好き勝手なことをできるので、人間の早死を望んでいる。

 特に、「庚申(かのえさる)」の夜には、眠っている人の体から抜け出して天にあがり、

 人間の罪過を天帝に告げる。

 天帝は、人々の善悪を聞き、その程度に従って賞罰を科すが、その最たるものが寿命の縮めてしまう

 ことだという。 天帝に報告されて寿命が短くなるのは困る。

 そのために庚申の夜は、三尸の虫が体内から抜け出られないように、徹夜して過ごすことが必要」

 と説くのが「庚申信仰」だそうです。 

 平安時代、無病息災を願いながら眠らないで過ごすという貴族の風習が、

 室町の武家社会から江戸時代には庶民の間に全国的に広まりました。

 奈良には、たくさんの庚申塔が残っています。 

 

   
 
  子ども達も校区探検で高良神社をたずねています。

  「高良神社」秋の例祭は、10月15日 「四之坪」へ渡御します。

  ぜひ、皆さんも 訪ねてみてえください。